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次の文章を読んで、あとの設問に答えなさい。
一 五十崎町の「よもだ塾」
いかざき
「五十崎」と書いて、「いかざき」と読む。ちょっと変わった読み方だ。愛媛県の松山から南西に下がった山間にある何の変哲もない、いわゆる中山間地にある町の一つだ。小田川という川が流れる。
小田川の川原では凧上げが有名だ。畳百畳敷という巨大な凧もつくられ、この地方としては大きなイベントになっている。和紙の産地でもあるので、大凧生産が可能である。だが知る人ぞ知るというていどだろう。
「よもだ塾」
五十崎という町の読み方さえもよく分からないし、そう特別な特徴がないから、一般の人には知られていない。町というけれども、市町村という制度の上の「町」であって、実際には山間にあるのどかな農村という風景だ。
日本は一九六〇年の所得倍増計画から高度成長を遂げたが、地域は激変の波に洗われた。一九七三年以来二度のオイルショックを経て、ようやく地域らしさを取り戻そうとして七〇年代末から八〇年代へかけて「むらおこし」「島おこし」「まちづくり」などという言葉が、各地で語られるようになった。そんな一九八三年ごろ、この山間の町に「よもだ塾」が生まれた。
塾頭は酒作りを生業にしている亀岡徹である。東京で農業や醸造を勉強して故郷に帰った。しばらく離れていて帰ってみると、皆と言葉が通じない。さまざまな会合はある。だが、いつ始まったのかも、何が決まったのかも分からないままに延々と続く。亀岡は「始まりもなく終わりもない。まるでお神楽のようだった」という。
まず「言葉を取り戻そう」と思ってはじめたのが「よもだ塾」だったという。「むらおこし」「まちづくり」が必要だと、大上段に振りかぶるよりも、人々の気持ちにゆるやかに火を灯し互いに話し合いをすることから始められた。
「よもだ」という言葉がおもしろい。このあたりは南予(なんよ)と呼ばれている。愛媛県、すなわち昔の伊予の国の南部である。南予の人々は話好きだし、日本では珍しくユーモアに溢れている。「よもだ」とは南伊地方の方言だが、あまり褒められた言葉ではないらしい。「いいかげん」とか「悪ふざけ」という否定的な意味が強い。標準語では適訳がない独特のニュアンスである。あまり難しいことは言わずに、わいわい「よもだ」で楽しく話をするうちに、自然に地域づくりのことも学んでしまおうという肩肘をはらない気安さがある。
ふざけているように見えて、実際には隠れた批判的精神をもっているのだが、それを正面からは出さない。「よもだ」という遊び心とゆとりのなかで楽しみながらガヤガヤと集まる。ゆるやかで柔軟で、それでいてしたたかな実践の精神がある。私はこれを「よもだ精神」と呼びたい。
「よもだ」では、問題を激しく対決させず、冗談を言ったりふざけたりしてユーモアを交えていう。時間もかかり障害も多い「まちづくり」は、あまり生真面目一方で突き進むと挫折してしまうものだ。それよりも集まった人々が楽しめれば、それ自体が「まちづくり」だし、継続しているうちに、あんがい何かをやってしまうことにもなる。
農村では、今までの序列、肩書、義理やしがらみがものを言いやすいが、ここでは全く個人の自発的な意思で多様な人々が集まる。本当に町をよくしたいという気持ちの人々が、特別な立場を背負わないで自由に集まり、自由に発言できる。それはゆるやかな繋がりだが、あんがい強いものになる。従来の「ムラ」的な結合ではなく、主体的な人々が、自分の意思で自由に集まった「マチ」的な繋がりだからだろう。別な言葉でいえば市民的な繋がりである。
よもだ塾は、やがて心が通い合う土壌になっていく。集まって話し合うだけなら、全国各地にもにたようなものがあるかもしれない。ところが、ここでは「よもだ」精神で楽しくやっているうちに、大きな実践をしてしまった。
二 榎の大木と小田川の改修
小田川の改修
ことは小田川の改修工事から始まる。
平凡な農村風景のなかで、小田川はほどよい変化とゆとりを与える町のシンボル空間になっている。
そんな平和な町の小田川の上流で、川の改修工事が始まった。その頃、どこの河川でも見られたコンクリートブロック積みの無機的な護岸である。一番工事費が安く出来る方法だった。この姿は見ていても楽しくないし、人間的な感じがしない。コンクリート構造物を見慣れた都会でさえも醜いのだから、緑の多い農村風景には全く馴染まない。
護岸工事が進むと、五十崎町もあんなふうになってしまうのだろうかという不安が広がった。榎の大木の少し上流には川原に榎の林もある。林も大木も撤去されそうである。そうなっては大変だ。コンクリートブロックの護岸では、川に微生物もいなくなり水生植物も育たない。水の自然浄化作用も働かず、魚もホタルも棲まないし、都会のドブ川と変わらなくなる。
町役場に聞いても分からない。一級河川の管理は建設省の管轄で、この川については愛媛県に工事を委託している。町はまったく河川に権限がないから問題意識もなく、分からなくてもいいのだ。
当時の建設省の河川管理の考えでは、河川敷のなかにあるものは、すべて流れの障害になる邪魔物と見ていた。降った雨を一刻も早く海まで流すのが使命だ。洪水の水をスムーズに流すには、川はできるだけ直線にする。樹木は流れの邪魔だし、流されてきたものが引っ掛かると、水嵩が増して危険だ。榎の大木も邪魔物として扱われることになるだろう。まさに、風前の灯である。
大きな川は、大洪水にたいして「百年確率」で設計される。百年確率とは、百年に一度くらいの洪水に対応した水量を基準に設計するということだ。一方、大洪水は毎年来るものではない。百年となると一生の間に来ないかもしれないのだが、その洪水のために、日常的に人々に親しまれ愛されてきた榎の大木でさえも、邪魔物扱いにされ、川をコンクリート構造物のお化けにしてしまうというのが河川管理の考えだった。
町づくりシンポの会
亀岡は考えた。これはどこかおかしい。だが、皆が川について無関心すぎるし、無知すぎる。町にとって大事な川に関心をもって、もっとよく知ることが必要だ。
その頃、町制三十周年の記念事業のシンポジウムが開かれた。企画を行政だけで行わず、民間のエネルギーを引き出そうということになり、「町づくりシンポの会」が結成され、この世話人にも亀岡徹がなった。シンポの会も「よもだ」的で、一回二百円の会費を払ったら会員だという。よもだ塾の人たちも多いが、誰でも参加は自由である。
シンポの会は川の問題に取り組んだ。榎の大木を中心にした広い川原を利用して、お祭りをやろう。祭りは「かぐや姫祭」と命名された。
小田川の川原は祭りの場になった。五十崎の住民だけでなく、近隣や県、建設省の関係者なども皆呼んでしまう。「かぐや姫祭」とは話が余りにも荒唐無稽だから、かえって盛り上がって、誰でも楽しめる。
祭りが始まってみると、祭りが開けるほどの川原があったということを、初めて実感する人もいる。いつもは、なんとなく通り過ぎて遠くから見ていたが、大きな榎の下にくると、なかなかすばらしい大木だと分かってくる。住民たちは、河川は大洪水の対策だけではなく、毎日の生活のなかで生きて使われていいと改めて気がつく。
こうして住民たちは、この川原や榎が、五十崎町にとって貴重なものだという気持ちになってきた。
漬物石の護岸
川原は五十崎にとっては無くてはならないものだと感じてくる。川原に簡単なテニスコートができ農家の主婦もテニスを楽しむ。川原は住民の日常的な楽しみの場に変わっていった。皆が大事だと分かってきた頃、改めて上流から始まったコンクリートの護岸工事を問題にした。「五十崎でやるときには、あれじゃ困る。もちろん榎の大木も切ってしまっては困る」という声が上がってくる。コンクリートではない自然的なもの、せめて自然の玉石を積んだ護岸にして欲しいと県に申し入れた。「玉石は経費が高くつくからできない」というのが答えである。「それじゃあ玉石を住民が供出すればいいだろう。どこの家でも漬物石の一つや二つは転がっているはずだ。それを供出しようじゃあないか」と呼び掛けた。「美しい小田川を未来に引き継ぐ石一個提供運動」が始まる。呼び掛けのほうが先だったが、仲間の議員も動いて、町で「小田川原っぱ石っこ条例」というものをつくった。
いつのまにか、よもだ塾もシンポの会も超えて、町じゅうの住民にまで広がる実践運動になっていた。皆が台所にある漬物石を河川の工事事務所に運んでくる。ところが、「これではだめだ」と、大部分の石ははねられてしまった。河川の護岸に使うような玉石はもっと大きくて大きさも揃っている。ただの家庭の漬物石とは違うのだ。
しかし、ここまできたら引き下がれない。それなら玉石とブロックの差額をだそうということに発展した。今度は「いかざき原っぱ基金条例」が生まれ、一人千円ずつを供出することになった。漬物石護岸にはならなかったが、住民の熱意と実践の力が河川管理者の考えを変えさせた。建設省もいままでのコンクリート漬けを反省し、国の予算で玉石護岸にした。手をつけなかった基金は、小田川の浄化・清掃・イベントなどの経費として使われている。
こうして、「よもだ塾」や「シンポの会」はべつに反対運動をしたわけではないのだが、巧みに関係者も住民も巻き込んでしまった。理屈よりも実践なのである。それが、河川管理者の重い扉を少しずつ開けて、これまでの方法を変えていくきっかけになった。
三 近自然工法と国際河川シンポジウム
近自然工法
このくらいのことでは満足しない。シンポの会はいままでは、ほとんど意識していなかった河川のことを、もっと深く勉強する必要を感じた。そしてついに、国際河川シンポジウムを開くことになるのだが、それにはプロセスがある。
シンポの会は全国のいろいろな川を見て回り、川に関わる多くの人々とも付き合ってみた。どうも河川の扱いがおかしい。国の政策では、多額の金をかけて、河川をゴチゴチのコンクリート護岸にして住民を寄せつけないものにしている。金をかければかけるほど、住民は川から遠ざけられて、見た目にも醜い風景に変わってゆくのだ。これでいいのだろうか。
いろいろ調べているうちに、偶然ながら「近自然工法」という方法があることを発見した。河川はもともと自然のものだし、ガッチリと人工的なものにせず、できるだけ植物などを使って水勢を制御する。川のなかに草や潅木も生やして自然に近い状態にしておくというものらしい。ただしこれは外国の事例だった。日本の川の状況と外国では違うという。
シンポの会の行動は早い。とにかく現場を見に行こうということで、一九八六年には十人ほどのメンバーがスイスに乗り込んだ。場所はチューリヒ、美しいスイスの風景を見るのも勉強になるだろう。旅費は自己負担。メンバーの職業は農家あり住職あり酒造家あり団体職員ありとバラバラだが、専門家はいない。町の職員にも一人同行してもらう。
一行はチューリヒに行って話を聞き、実地を見て驚いてしまう。コンクリートではなく、柳や葦のようなもので水勢をコントロールして自然に近い緑の川になっている。しかもコンクリート護岸を壊して自然的に直してしまったのもある。これなら小田川も、現在の自然に近いかたちでできるのではないか。住民は自由な立場だから、専門家が見落としてきたことまでも見つけ出し、その解決策まで指摘してしまったのである。
こういう経過を経て、人口六千人ほどの五十崎町で、国際河川シンポジウムを開くまでにこぎつける。正式には「スイスと五十崎・川の交流会」という。まさに「シンポ」であり「進歩」だ。五十崎町も共催する。スイスから専門家を呼ぶ費用は、町が百五十万円をだした。
河川政策の転換
国際シンポジウムの席には建設省の関係者も来ていた。ひととおりの壇上の話が済んでから、司会者が「こういう近自然工法を国ではどう思いますか」と投げかけた。まだ、コンクリートの塊のような川が一番いいとされていた時代だ。いったいどう答えるだろうか。にべもない官僚的な答えが返ってくるかなと思って聞いていると、「われわれも、これからそういうことを研究しなければならないと思っています」という答えだった。
私には意外に聞こえたが、その後を見ると建設省は、素早くこれまでの考えを改めて、河川をたんなるコンクリート構造物にすることから脱却して、柔軟に地域に対応して行く。まだ構造物主義が主流の時代に、シンポの会の人々に刺激されて、早くもスイスを見に行った感度のいい人々が建設省内にいた。亡くなった関正和だ。彼は五十崎の会にも出ていたし、その後どんどん新しい発案をして政策転換を進めた。
ついに、河川工事の方法を弾力的に運用するだけでなく、河川の考え方を基本的に変えるため河川法の改正まで行ってしまった。
ここでは、河川を一時の洪水対策だけとして考えるのではなく、平常時の生物の生息・生育の場であり、散策やスポーツの場であり、美しい自然環境として地域の風土や文化を育てるという視点を大幅に取り入れ、常時、地域とともにある、開かれたものである「三六五日の川」として表現された。つまりそれまでは、百年確率とか、百五十年確率とか、百年に一日の川のことしか考えていなかったのを、市民の日常的な川とするというものだ。
河川行政の百八十度転換である。審議会では私も意見を言わせてもらったが、かつては他の意見を寄せつけないプライドの高かった河川技術者たちが、驚くほど柔軟なのにびっくりした。このままではおかしいと感じていた河川技術者もいたのであろう。ただ、建設省では「近自然工法」ではなく、「多自然工法」といっている。どちらも実質的な差はない。
多自然工法が天下の大勢になってしまうと、近くの徳島県でさえ、五十崎町の住民のことは、ほとんど知らない。だが、私は五十崎町の住民が、当時最も強力で硬直的であった建設省の河川行政を転換させるキッカケをつくったことを忘れるわけにはいかない。
彼らは、国の方針全体を変えるという大それたことを考えたわけではない。ただ、自分たちの大事な環境、一本の榎を残したいという思いだけだ。そういう現場の具体的な「まちづくり」の実践が大きな流れをつくってしまった。
(田村明「まちづくりの実践」をもとに作成)
問 題
設問一
五十崎の事例を読んで、まちづくりの実践にとって大事だとあなたが理解した要素を二つ挙げ、その理由を説明しなさい。(二百五十字以上三百字以内)
設問二
地域の価値は、風土的価値(気象、自然など)、歴史的価値(遺産、事件、記憶など)、人の営み価値(物、仕事、生活、仕組み、イベントなど)の三つに分類できると考えられます。(一)あなたの身近で行われているまちづくりの活動内容を一つ紹介しなさい。(二)その活動の基本的性格をこれらの地域価値の分類にもとづいて説明しなさい。(二百五十字以上三百字以内)
設問三
あなたのまちで、あなたが行いたいと考える「まちづくりのビジョン」を述べなさい。つぎに、それを実現しようとするときに予想される問題点と、その問題を克服するアイディアを説明しなさい。(二百五十字以上三百字以内)
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